【東西冷戦と冷戦後の世界】パレスチナ問題について
パレスチナ問題について
パレスチナ問題はなぜ起きたのですか?
進研ゼミからの回答!
【質問の確認】
パレスチナ問題はなぜ起きたのですか?
【解説】
パレスチナ問題はアラブ人とユダヤ人の対立。原因は、アラブ人の住むパレスチナにユダヤ人国家イスラエルが建国されたことにあります。
背景
パレスチナはキリスト教、イスラーム教、ユダヤ教の聖地であるイェルサレムを含む地域。それらの宗教を信じる人にとって、イェルサレムは特別な場所であり、できれば自分たちの土地に、という思いは強いものです。特にユダヤ人の間には、19世紀以来、「旧約聖書で神に約束された地・パレスチナにユダヤ人国家を建国しよう!」という運動(シオニズム)がおこっていました。しかし、実際パレスチナの地には1000年以上にわたってアラブ人が住んでいたのです。
問題を複雑にしたのは、第一次世界大戦中、ユダヤ人・アラブ人両者の協力を必要としたイギリスです。イギリスは、パレスチナでのユダヤ人国家建設を認める一方で、アラブ人(当時オスマン帝国支配下)にも、やはりパレスチナでの独立を約束しました。この結果、第一次世界大戦後、ユダヤ人はパレスチナへの入植を進め、アラブ人との対立は激しくなっていったのです。
紛争勃発
第二次世界大戦中に、壮絶な迫害を受けたユダヤ人は、自分たちの国家を持つ意志を固めました。ユダヤ人に同情的な国際世論を追い風に、1947年国連総会でパレスチナの分割案が提示されると、ユダヤ人はそれを受け入れ1948年イスラエルを建国。ただちにアラブ人は反対し、第1次中東戦争が勃発しました。この戦争で、パレスチナのアラブ人が難民となってしまいました。そこで、アラブ人は、1964年にパレスチナ解放機構(PLO)を組織し、イスラエル占領地で自治を求めて抵抗運動を繰り広げたのです。
長い紛争の末、1993年にパレスチナ暫定自治協定、1995年にパレスチナ自治拡大協定が調印され、パレスチナ問題は和平に向かっていくかにみえました。しかし聖地イェルサレムの帰属先等多くの問題が暗礁に乗り上げ、再び武力衝突がおこるなど、現在もきわめて緊張した関係が続いています。
【アドバイス】
パレスチナ問題については、地図も確認しておくとさらに学習効果が高まります。
あまり馴染みのない地域について学習するときは、特に注意して地図もみながら学習しておきましょう。
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