【アジアの植民地化】アヘン戦争の流れについて
アヘン戦争の流れについて
アヘン戦争はイギリスと清とインドが関係していますが、イギリスと清の貿易関係から始まり、その後のインドがアヘン輸出で加わり、条約締結に至るまでの流れを教えて下さい。
進研ゼミからの回答!
【質問の確認】
アヘン戦争はイギリスと清とインドが関係していますが、イギリスと清の貿易関係から始まり、その後のインドがアヘン輸出で加わり、条約締結に至るまでの流れを教えて下さい。
【解説】
まず、アヘン戦争はイギリスと清の戦争であることを押さえておきましょう。
●イギリスと清の貿易→イギリスから清に銀が大量に流出
18世紀末、茶を飲む習慣が広まったイギリスでは茶の需要が増大し、中国茶の輸入が増加しましたが、清では茶の対価であるイギリスの綿製品が売れず、イギリスは貿易赤字になりました。イギリスは輸出入で出た差額を銀で支払わなければならず、大量の銀がイギリスから清に流出していきました。
●イギリスは銀の流出→三角貿易で回収をはかる
イギリスは清から銀の回収をはかるため、清国内のアヘン吸飲の習慣に目をつけ、19世紀初めからイギリスの植民地のインド農民に栽培させたケシからとれるアヘンを清へ、清の茶などをイギリスへ、イギリスの綿織物などをインドへと運ぶ三角貿易をはじめたのです。
その結果、イギリスは大量のインド産のアヘンを清に密輸し、清ではアヘンの吸飲が広がって、アヘン密貿易が増えました。そのため、アヘンの対価として茶だけでは足りず、清はその差額を銀で支払うようになりました。今度は逆に清から大量の銀が流出するようになったのです。銀の大量流出は銀の価値を暴騰させて清の経済を混乱させるとともに、清をますます財政難にしました。
●林則徐の取り締まり→アヘン戦争
このような状況で、清はアヘンの取り締まりのために林則徐を広州に派遣しました。林則徐は広州でアヘンを没収して廃棄させ、アヘン貿易を厳禁しました。この清の態度に反発したイギリスは、1840年にアヘン戦争(1840〜42)をおこしたのです。
●南京条約
清はイギリスに敗れ、1842年に南京条約を結びました。南京条約の内容は公行廃止、香港島割譲、5港開港をおさえておきましょう。
【アドバイス】
「イギリスと清の貿易→イギリスの銀が清に大量に流出→三角貿易→清にインド産アヘンが流入・清の銀が大量に流出→林則徐の取り締まり→アヘン戦争→南京条約」の流れを、そしてアヘン戦争後の交易でもイギリスが期待したほどの利益があがらず、アロー戦争がおこったことをおさえておきましょう。
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