【市民革命とウィーン体制】ウィーン体制の流れについて
ウィーン体制の流れについて
ウィーン体制ではたくさんの国名とともに反乱や独立運動が起きているので、いつも混乱します。どうやって体制が変わっていったのか、うまくおさえられる方法はないですか?
進研ゼミからの回答!
【質問の確認】
ウィーン体制ではたくさんの国名とともに反乱や独立運動が起きているので、いつも混乱します。どうやって体制が変わっていったのか、うまくおさえられる方法はないですか?
【解説】
フランスの動きに注目!
ウィーン体制の成立から崩壊までの流れをおさえるポイントはズバリ、 フランス 。
体制を揺るがす契機はフランスの動きと密接に関係しています。段階ごとに、フランスで革命が起こったあと各国に反乱・独立運動が波及していく流れをおさえましょう。
【ウィーン体制って何?なぜ成立したの?】
発端はフランス革命・ナポレオン戦争の戦後処理 ⇒正統主義が唱えられ、ウィーン体制成立
ウィーン会議以前、ヨーロッパはナポレオンの遠征によって広い範囲が一時フランスの支配下にありました。ナポレオンが退位した後、彼によって変えられた国境や各国の政治体制をどうしていくのか、ナポレオン後のヨーロッパ秩序を話し合うために開かれたのがウィーン会議です。
フランス外相のタレーランが主張した正統主義とは、フランス革命〜ナポレオン戦争にかけてヨーロッパに広がった自由主義的な考え方ではなく、昔の体制に戻そうとするものでした。フランス革命のような革命が再びヨーロッパで起きたら困る! そう思った各国のウィーン会議出席者は正統主義を受け入れ、領土分割をしたのです。
しかし、一度めざめた自由主義とナショナリズム(国民主義)は各国で自由・独立をめざします。カルボナリ(伊)やブルシェンシャフト(独)が運動を起こしましたが、この時期のナショナリズム運動は大国にことごとく弾圧されてしまいます。
【ウィーン体制が動揺!】
フランスで七月革命が起こる ⇒ヨーロッパ各地で運動や蜂起が起こり、ウィーン体制動揺
植民地支配に苦しんでいた国々はフランス革命の影響を受けて、自立の動きを見せはじめました。ウィーン体制により王政が復活したフランスではシャルル10世が議会を解散、言論・出版の統制を強化し、制限選挙を行おうとします。これに怒ったパリの民衆が蜂起し、七月革命が起こります。(自由主義者ルイ=フィリップが王となり七月王政が成立)。この七月革命の影響でベルギーはオランダから独立を宣言し、イギリスでは選挙法が改正されるなど各地で独立運動や自由主義的運動が激化、ウィーン体制は動揺します。
【ついにウィーン体制が崩壊!】
フランスで二月革命が起こる ⇒ヨーロッパ各国で革命運動が起こり、ウィーン体制崩壊
七月王政では極端な制限選挙制に基づいた立憲君主政がしかれていました。不満を持った労働者たちは政治参加を求めて選挙法改正運動を起こし、それを政府が弾圧しようとしたため起こったのが二月革命です(これによりフランス王政は倒れ、臨時政府の第二共和政が成立)。この二月革命の影響で各国に反乱が飛び火し、革命運動(*)はヨーロッパ中に広がります。この革命・民族運動を総称して1848年革命といいます。この結果、ウィーン体制はついに崩壊しました。
(*)
・イタリアでは青年イタリアがイタリア統一をめざす
・ウィーン・ベルリンでは自由や憲法を求め三月革命が起こり、ウィーン会議を主催したメッテルニヒが失脚
【アドバイス】
ウィーン体制の成立から崩壊までの流れは複雑に感じるところだと思います。でもフランスの動きに注目して見ていけば、案外すっきりと理解できますよ。
この調子で世界史の学習を進めていってくださいね。
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