【室町時代】半済令と守護請が何なのかよくわかりません
半済令と守護請が何なのかよくわかりません
守護が新たに獲得した半済令と守護請の権限について
進研ゼミからの回答!
こんにちは。
いただいた質問について、さっそく回答させていただきます。
【質問の確認】
守護が新たに獲得した半済令と守護請の権限について
【解説】
ここは非常に複雑で分かりにくいところですね。ここでは大まかに、できるだけ簡単な形で説明することにしましょう。
まず、平安時代の頃の荘園について、少し確認しておきます。
荘園の中に住んで働いていた農民たちは、生産した農作物の一部を年貢などの形で荘園領主に支払っていました。もう少し詳しく述べると、各地の荘園において、荘官(荘園の管理人)が年貢を農民から集め、(京都などに住んでいる)荘園領主に送っていました。
鎌倉幕府ができたりして、武士が力を持つようになると、武士たち(地頭など)も荘園に介入するようになっていきます。
そして室町幕府は、「半済令」を発布して、荘園の年貢の半分を守護が徴収することと定めました。荘園全体から得た年貢を荘園領主と守護とで半分ずつ分けるという方式がとられたほか、荘園の土地そのものを半分ずつに分けて、荘園領主と守護がそれぞれの土地から年貢を徴収するという方式がとられる場合もありました(下の図を参照)
「守護請」になると、守護は平安時代の荘官のような役割を担うことになります。荘園を半分に分けるのではなく、荘園全体から年貢を守護が徴収し、その中から荘園領主にも年貢の一部を送るという方式だったわけです。
この図だけを見ると、平安時代の荘官と変わらないように思えますが、実質は大きく異なっていました。強大な軍事力を持つようになった守護が、農民たちから年貢を徴収したあと、荘園領主に年貢を送らないようになっていったからです。守護は、力ずくで荘園の年貢、さらには荘園そのものを自分のものとしていったのです。
【アドバイス】
こうした土地制度に関連した部分は、日本史全体の中でも非常に難しいと言えます。それだけに、問題で正解できる程度に理解できれば十分と思って構わないでしょう。
また、「半済令」と「守護請」との区別で混乱する人も多いようですが、「半分」という表現が見られる場合には「半済令」が正解になるのが普通だというような、単純な手がかりもあります。実際には、「半済令」と「守護請」を区別するのはそんなに難しいことではありません。問題を解く上では、それほど細かいところまで気にしなくても、何とかなるはずですよ。
それではこれで回答を終わります。これからも、「進研ゼミ高校講座」への取り組みを続けながら、知識を正確にしていきましょう。
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